ヤマオカ株式会社

社長インタビュー

誰もが困難だと思った壁を越えてきた。
社長が語る、ヤマオカ株式会社の歩みとこれから。

戦後、工芸レベル技術力の下駄職人で あった 現社長 山岡弘忠 の祖父の「ものづくり魂」をルーツに持ち、時代の流れとともに履物製造、製材加工、プラスチック成形と歩みを進めてきたヤマオカ株式会社(前:(有)ヤマオカ製作所)。その背景には、常に「新しいものづくりへの挑戦」と「徹底した技術探求心」の姿勢があります。

このページでは、山岡が自社のルーツや事業の転換点、そしてこれからのビジョンについて語ります。ものづくりの現場に息づく信念と、次代へ向けた想いを、ぜひご覧ください。

ヤマオカ株式会社のルーツ

まずは、ヤマオカ株式会社のルーツについてお聞かせください。

山岡 弘忠 代表取締役(以下、山岡):当社のルーツは、本家豆腐屋から伝わり続ける「ものづくり魂」にあります。ヤマオカ製作所を新たに起業した祖父(次男)は第二次世界大戦を何度も生き抜いた後、下駄職人として生計を立てる強い決意をしました。さらに時代の流れとともに父が事業を変革し、履物の製造、製材加工と、より大きなビジネスを志しました。これが当社の礎となり、現在のプラスチック成形事業へとつながっていきます。

ものづくりの精神は、祖父の代から続いているのですね。

山岡:そうですね。本家で曽祖母が作る豆腐は登録有形文化財の宿に指定されるような有名な旅館や料亭などと契約していたそうです。朝早く(2時ごろから)豆腐を丁寧に作っている曽祖母の後ろ姿が幼少期の私にとても印象深く残っています。祖父は豆腐職人としても素晴らしかったらしいですが、下駄職人としてもその腕前が高く評価され、地元では有名な職人でした。全国から注文があり角界の大関など、著名人の下駄も数多く製作していました。小学校で見るテレビ番組(社会科)に出演したのもとても記憶に残っています。その後、父の代で家具業界や建築業界への製材事業へと拡大していきました。

バブル崩壊で迎えた事業の転換点

バブル崩壊前後で事業の大きな変化があったと伺いました。

山岡:はい。バブル期までは、作れば売れる時代だと父が言っていました。しかし、バブル崩壊の少し前から、海外の材木の増加、木材(家具)の需要が減少し、土地・工場の有効利用のため父はプラスチック成形への転換を決意しました。当初は簡単なプラスチック成形を受注することから始まりました。

プラスチック成形の分野へ進出したきっかけは何だったのでしょうか?

山岡:それまでの主要事業であった製材業では加工の過程で木くずが発生します。その木くずで油圧機から漏れた油を吸い、廃棄するということが当時はありました。木くずを必要とされていた何社かの中からプラスチック製造業の企業さんに声をかけて頂くことがあり、プラスチック成形の仕事を始めたことが大きな転機となったと聞いています。

現社長によって確立された“技術のヤマオカ”

社長ご自身が事業を継がれるまでの経緯についてお聞かせください。

山岡:当時大学生だった私は父にプラスチックの仕事の勉強と経験をするよう勧められており、帰郷した際に少しずつ手伝ってみると、どんどんとのめり込みました。社会人として業界での経験を積み、2002年28歳の時、新案件のために帰郷し事業を引き継ぐこととなりました。

その後、どのように受注を拡大していったのでしょうか。

山岡:帰郷するきっかけとなった新しいチャンスを逃さず、お客様の要望を次々と解決することで次の依頼へ繋がり、事業を拡大していくことができました。

製造技術が非常に高いということですね。

山岡:そうですね。ものづくりを行うとき、当社はいつでも「お客様のニーズに必ず応え、チャレンジしていく」ことを徹底しています。お客様はもちろん、材料分野、設備分野、金型分野とそれぞれ非常に高い意識で同じ目標に向かってくれる社外協力者もたくさんおり、課題難題解決に社内の力強い協力と、とても素晴らしく有難い人脈の結集が高い技術力の礎になっています。

だとすると、“難しい依頼”ほど燃えるような感じでしょうか。

山岡:はい、口癖が「難しい成形をやりたい」ですので、ますます新しい製品や企画の依頼をいただいています。

ある意味「ものづくり企業」にとっての理想形ですね。“技術力の高さ”というのは、もう少し噛み砕くと他社と比べて何が違うのでしょうか?

山岡:それはやはり、「どこまでも突き詰める」ということではないでしょうか。小さな工夫を本当にいろいろと積み重ねていくのです。至るところに細かな工夫がものすごくたくさんあります。

 

そして特に、開発依頼を受けた際に最も重要視しているのが、構想と設計です。当社では、どんな部品でも、構想・設計段階で本当に細部に至るまで考え抜くのです。そうやって高度な成形技術を実現することで当社の強みを確立し、こうした実績が現在の競争力の源になっています。

もう一つの当社の強みは、スピード感のある開発体制です。この迅速な対応力が、多くの取引先から高く評価されています。

技術と信頼で再び訪れた経済危機をもチャンスに

生産性の向上にも独自の工夫をされていると聞いています。

山岡:はい。例えば、 金型を構想段階から工夫することで、不要な工程を省き、作業の効率を大幅に向上させています。そして、後工程を見据えた設計も徹底し、海外工場を含め、全体が一つのチームとして連携する仕組みを作っています。

海外取引の発展と長期的ビジョン

では、今後の展望についてお聞かせください。

山岡:最近では実績を重ねています「厚肉成 形」では従来困難だった品質レベルをさらに向上させ、新しい成形方法も確立していっています。「厚肉成形」だけではなく、「精密小物成形」も他社が出来ないレベルを不良0で製造する方法も実績ができました。「難しい成形をやりたい」が本当にたくさんの珍しく成形することが楽しいプラスチック製品を集め、毎日毎日「より高い品質に」を心がけています。これからもずっと目指していければと思います。こうした当社の姿勢から、何十年と長期に渡る契約が結ばれることも珍しくありません。特にその長期的な取引が発展する傾向があり、益々向上し続ける「もの づくり」を続けていきたいです。

ベトナムに現地法人を設立されています。

山岡:現在、当社はベトナムに生産拠点を設立し、国際的な供給体制を強化しています。ベトナム工場は2019年に稼働を開始しましたが、コロナ禍の影響で一部のプロジェクトが遅れました。2025年から、あらためて事業の本格展開を目指しています。

今後は日本で開発センターも担い、量産はベトナムで行う形へのニーズにもお応えします。そして、海外工場主体での取引も増やしていきたいと考えています。